〒116-0013

東京都荒川区西日暮里3-3-11

プロフィール

代表略歴

代表取締役  小原 光男  

年齢  53歳(20216月末現在)

最終学歴/学部  同志社大学商学部卒業 

IMG_5462

職歴/職務内容

1991年 4月 日本興業銀行入行 日本橋支店
1995年 3月 同行本店営業第9部
1998年 2月 同行京都支店 営業課
2002年 4月 みずほ銀行京都中央支店営業5課
2002年 8月 みずほ銀行退行
2002年 9月 リッキービジネスソリューション㈱入社
2016年 6月 同社取締役、常務取締役、取締役副社長を経て退任
2016年 7月 会社計画株式会社 代表取締役

「頂いた名刺は14,000枚、なんらかの関与をさせて頂いた会社は500社以上」

銀行時代はずっと中小企業から中堅企業、大企業向けの融資業務をしておりました。いわゆるバブル景気がはじけた1991年から、おそらく、日本の金融史に残る金融危機である、長銀や拓銀、山一証券が破綻した1997年を経て、都市銀行13行(第一勧業、三和、三菱、三井、住友、東京、富士、協和、、埼玉、太陽神戸、東海、大和北海道拓殖)、信託銀行7行く(三井信託銀行,三菱信託銀行,住友信託銀行,安田信託銀行,日本信託銀行、東洋信託銀行、中央信託銀行)、そして、興長銀3行(日本興業銀行、日本長期信用銀行、日本債券銀行)の計23行が瞬く間にメガバンク3行とりそな銀行、住友信託銀行の実質5行のグループへと大統合されるほぼ枠組みが形成され、私が勤めていた日本興業銀行も2002年、みずほ銀行として生まれ変わったわけですが、まさにバブル時代最後の営業から債権回収業務まで、まさに最前線のバンカーであったと思っております。

そしてその間には、金融庁が発足し金融情勢が激変しました。お取引先であった会社の和議(現在の民事再生)、会社更生、民事再生、破産処理等に数多く対処。日本興業銀行でおそらく、最も早い段階で売掛債権譲渡担保の特例法登記への対応を実施と思っております。また、みずほ合併直後の2002年4月2週目には、取引先の民事再生と会社更生を対応、みずほグループでも最も早い段階での破産対応もさせて頂きました。

その後、日本興業銀行時代の上司であり、リッキービジネスソリューション社長で現在では、地域金融ビジネスのカリスマ的存在の澁谷耕一氏と創業時からまさに二人三脚で会社経営をし、自らの会社でも資金調達や銀行対応をするとともに、中小企業への総合的なコンサルティングを10年以上にわたって行ってきました。
つまり、銀行員時代から現在まで25年以上、いわゆる、中小中堅企業の財務と金融回り一筋で生きてきました。

また、M&Aにも関与するようになり、通常のM&Aアドバイスや上場会社向けの価格算定書作成のほか、自社での買収に加え、それらの会社のエグジット(売却、清算)に関しても、クライアント探しから契約書、DD、企業価値評価、弁護士対応等をすべて対応しておりました。
前職にいた時に、採用面接でよく「以前、M&Aのアドバイスをしていました」といった人を多く見てきました。

しかしながら、アシスタント業務しかしておらず、実務を経験したことのない人が大半でした。私は自分でいうのもなんですが、彼らに比較し、まさに、実戦で鍛えたM&Aのネットワークとノウハウは有していると思います。
中小企業の社長の皆さん、M&Aは、他人事ではありません、事業承継や銀行やお客様からの紹介でM&Aを検討せざる得ないときが必ずおこります。
そんな時は、まずは、第一段階ではぜひ、弊社に相談してください。コスト、時間、いずれも最も合理的に済みます。

なお、弊社は、大阪を拠点に活動をしているM&A専門会社である
「ワイエムエー株式会社」と業務提携をしており、総合的なアドバイスをさせて頂きます。